「9条」で自・公・民ねじれ浮き彫り

 衆院憲法調査会(中山太郎会長)が8月5日開かれ、自民、公明、民主の3党は、党内でまとめた憲法改正に関する「論点整理」や「中間報告」を報告した。9条改正に積極的な自民、民主両党に対し、公明党は堅持すべきだとの立場を主張。安全保障をめぐり、与野党の「ねじれ」が改めて浮き彫りとなった。
 自民党は「自衛のための戦力の保持」を明記し、現在の憲法解釈では認められていない集団的自衛権の行使まで拡大した。この日の議論
で、同党の近藤基彦氏は「テロや北朝鮮問題など国際情勢の緊迫化、国際貢献の観点から9条改正は不可避だ」と述べ、テロなどの「新たな脅威」に備えるため、9条改正の必要性を訴えた。
 民主党は集団的自衛権の行使は認めていないが、「国連安保理か総会の決議に基づく集団安全保障活動」には参加できるとして、9条改正に前向きな立場だ。岡田代表は国連決議があれば、海外での武力行使も可能との考えを示している。だが、同党の主張に対しては自民党側から「具体的にどのような役割を果たすのか分かりにくい」との意見が出された。
 公明党も集団的自衛権の行使を認めない点では民主党と同じ。ただ、国連決議に基づく集団安全保障活動については、人道復興支援などの後方支援に限定すべきだとして、武力行使を認めていない。
  安全保障以外の分野では、3党の考えはほぼ一致している。環境権やプライバシー権など、半世紀前の憲法制定時には想定しなかった新たな権利の創設で一致。また、議院内閣制を強化するため、首相、内閣の権限の強化を打ち出した。2院制については、衆参の権限、役割の見直しが必要と指摘した。天皇制についても、民主党の中間報告には盛り込まれなかったものの、女帝を認めることなどで方向性は一致している。
(平成16年8月6日東京新聞一部引用)


 靖国めぐり続く硬直化した論議

 『文明の衝突』のサミュエル・ハンチントン氏の新作『分断されるアメリカ』にこんなくだりがある。
 ≪ウィリアム・レンキスト(米連邦)最高裁長官は1985年にこう主張した。「教会と国家を分離していた壁は、まちがった歴史を象徴するものだった。それは率直に、きっぱりと放彙すべきだ≫
   同書によると、81年から95年にかけ、政教分離問題に関して最高裁で争われた33件のうち、政教分離に厳格な判決は12件、融和的な判決は20件、1件が中間的だったという。憲法20条の政教分離原則をわが国に植え付けた米国でさえ、国民生活から宗教を完全に分離することの難しさを自覚し始めた。

  日本はといえば、政教分離原則に縛られている。衆参憲法調査会でも小泉純一郎首相の靖国神社参拝が「違憲」か「合憲」かという硬直的な議論が今も繰り返され、自民党憲法改正プロジェクトチームは最終論点整理案で「わが国の歴史と伝統を踏まえるべきだ」と注文をつけた。国の戦没者祭祀という国家の基本にかかわる問題が原則に封印されているのだ。
  「A級戦犯分祀の方向で検討することで出席した4人が一致した」
  4月7日夜、都内のホテルで小泉首相と自民党の山崎拓前副総裁、公明党の冬柴鉄三幹事長ら自公保連立時代の三幹事長が酒を酌み交わした。散会後、山崎氏が記者団にこう述べ、関係者に衝撃を与えた。
  首相は翌8日、「政府がやることじゃない」と否定したが、与党内にA級戦犯分祀で中国などの反発をかわそうと考える勢力が広く存在することを改めて示した。分祀は、これまでも中曽根康弘元首相や自民党の野中広務元幹事長らが検討してきたが、一宗教法人である靖国神社の祭祀に国が干渉することこそ、分離原則に抵触する。

  「分祀しても御霊は靖国神社に残るので神道的に意味がない。神社の拒否にもかかわらず、政治的効果から分祀を強要するのは政教分離原則に違反し、避けなければならない」
  三月の衆院憲法調査会基本的人権小委員会で、参考人の野坂泰司学習院大法学部長は明確にこう指摘した。にもかかわらず、靖国神社に対する執拗な干渉が続く理由の1つに「戦前の国家神道」への反省から戦後、分離原則がもっぱら神道に対して厳格に適用されてきた現状がある。
  大原康男国学院大教授は「靖国や皇室儀式に限って厳格な分離を主張してきた勢力がいる」と指摘する。大原氏の調査によると、戦後の政教分離をめぐる全訴訟・事件のうち、神道関係が60%を超えるという。
  憲法20条は改憲論議の中で前文、9条以上にタブー扱いされている。連立与党の公明党に拒否反応が強いことが背景にあるが、政教分離で「緩やかな解釈」をとると、主に神道に有利になるのではないか、との警戒心もうかがえる。
  中曽根氏は5月27日、86歳の誕生会で、日中関係改善の打開策を大義名分として「分祀論」を改めて訴えた。中曽根氏は今年1月の訪中後、周辺を通じて靖国神社側に分祀の考えがないかを打診しているが、こうした行為が「強要」につながれば憲法違反となる恐れがある。
 
  国際法に詳しい佐藤和男青山学院大名誉教授は「20条は、米国憲法修正1条の『連邦議会は国教の樹立に関する法律を制定してはならない』という規定をモデルにして、GHQ(連合国軍総司令部)が起草したものと考えられる」と指摘。「この悪法を日本に押し付けた米国はどうか」と問いかけ、行き過ぎた政教分離を戒める。
  「大統領は就任式で聖書に手を置くし、上下両院には専属の牧師がいて祈祷を行う。米連邦最高裁の判例は『長期にわたる伝統的な慣行は、政教分離に当てはまらない』。靖国参拝もそうだ」
  靖国に代わる国立施設建設を提言した福田康夫前官房長官の私的懇談会は、「無宗教」を貫こうとするあまり「慰霊」も「鎮魂」も「顕彰」も否定する隘路にはまった。
   毎年8月15日に首相が出席して日本武道館で行われる「全国戦没者追悼式」の壇上には「戦没者之霊」と書かれた標柱が立つが、政教分離上の問題にされたという話は聞かない。


 日本らしい憲法を! -憲法改正に向けての問題点-

 現行の日本国憲法は、残念ながら日本人として自身と誇りを持てない恥ずかしい憲法です。特に甚だしいのが前文と第一章の天皇条項でしょう。日本国憲法の前文は、次のような翻訳調の長い一文で始まっています。
  日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の参加が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
  英文では「We the Japanese People,……」(われら日本の人民は)となっており、これはアメリカ合衆国憲法の前文冒頭の「We the People of the United States,……」(われら合衆国の人民は)と全く同じ発想、同じスタイルです。まともな日本人が起草すれば、決してこのような書きぶりになるはずはなく、それは明治の日本人が苦心して自ら作り上げた帝国憲法の前文に当たる明治天皇の「上諭」の文と読み比べて見れば、一目瞭然です。
  しかも前文には、当時のアメリカ人が勝手にそう信じ込んでいたらしい「人類普遍の原理」とか「政治的道徳の法則は、普遍的なものであり」といった言葉がつらなっています。あたかも自然科学の世界と同じように、人間の政治の世界にも各国の歴史や伝統とは無関係に、万国共通の普遍の原理や法則が通用するかのごとくです。さらに「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という文言に至っては、まさに現実離れの「空言」と言えるでしょう。
  このように、他国人が起草した、違和感のある非現実的な日本国憲法を維持していることを、日本人は何よりもまず「恥ずべきこと」と考えなければならないでしょうし、これまでただの一条も改正し得なかったことは、戦後政治の怠慢以外の何物でもないでしょう。

日本らしい憲法を!

民間憲法臨調