安倍首相靖國神社参拝訴訟の現況について 

靖國神社参拝訴訟が大阪地裁で判決 靖國神社らが全面勝訴(神政連レポート『意』196号より)

 平成二十五年十二月の安倍首相の靖國神社参拝を巡り、台湾人などを含む戦没者遺族ら七六五名が、首相の参拝及び靖國神社の参拝受入れの差止めや、精神的苦痛に対する損害賠償などを求めていた訴訟の判決が、一月二十八日大阪地裁で言い渡され、原告の請求をすべて棄却しました。
 平成十三年の小泉首相参拝時にも、六都府県で同様の訴訟が起こされ、原告の請求はすべて棄却されています。しかし平成十六年福岡地裁・十七年大阪高裁判決は「首相の参拝は政教分離に反する」と傍論(判例として法的拘束力のない説明部分)で述べ、原告らは「実質勝訴」などと喧伝して上訴を見送った経緯があります。
 平成十八年の最高裁判決では、首相の参拝について、「人が神社に参拝する行為自体は、他人の信仰生活等に対して圧迫、干渉を加えるものではない。それは首相であっても同じである。」と判断しています。今回もそれを踏襲し「参拝にとどまる限度において、原告が参拝に対し不快の念を抱いたとしても損害賠償を求めることはできない」と原告らの請求を棄却し、また「靖國神社の参拝は、首相による戦争準備行為で、憲法前文の平和的生存権が侵された」との主張についても、「憲法前文の〝平和のうちに生存する権利〟は抽象的な権利で、現時点で具体的権利性を帯びるかは疑問があり、損害賠償や参拝差止めを請求できない」と判示しました。
 さらに「福岡や大阪の傍論で違憲と判断したので、首相は司法を遵守し二度と参拝しないだろうと期待していたが、その期待が裏切られ精神的苦痛を受けた」などとする原告の主張に対しては、「裁判所が違憲と判断した事件であっても、その後の社会情勢や国民の権利意識の変化などで裁判所の判断が変わることもある。個人の信頼や期待が法的に保護される利益とはならない。」とまで述べました。
 原告は判決を不服として、二月九日に控訴し、審理の場は大阪高裁へと移されました。同高裁は過去に傍論による〝ねじれ判決〟が出されており、今後も気を引きしめて取り組まなければなりません。
 尚、東京地裁でも同趣旨の訴訟が審理中で、早ければ年内に判決が下される予定です。



 靖國神社霊璽簿からの氏名抹消等請求訴訟の現況について

 平成二十二年十月二十六日に那覇地裁、十二月二十一日に大阪高裁において、それぞれ提訴・控訴されていた靖國神社に対する霊璽簿からの氏名抹消等請求訴訟の判決が下されました。
  本連盟では、神社本庁と連携して靖國神社への支援活動を展開した結果、いずれも原告の訴えを退ける形での、靖國神社・国の勝訴となりました。

●那覇訴訟判決について
  本訴訟は、沖縄戦で亡くなった肉親を無断で靖國神社に合祀され、追悼の自由などの人格権を侵害されて精神的苦痛を受けたとして、県内の遺族五人が靖國神社と国を相手取って霊璽簿等から当該戦没者の氏名を抹消し、かつ一人あたり十万円の慰謝料を求めて平成二十年三月に提訴したものです。
  原告は、国が靖國神社の合祀に際し戦没者の名簿を提供して、「神社の合祀を幇助」したとして政教分離違反と主張し、国と靖國神社との間に「行為の共同性」があると主張していました。また、親族の近親者に対する「追悼の自由等」が侵害されたとも主張するなど、これらに対する法的利益の侵害の有無が本訴訟の主な争点となりました。
  判決について、前者は、名簿の提供は「神社からの依頼又は照会を契機とするもの」であって、「国として大方の国民の意向を反映した時代の要請」に応じた「宗教的色彩のない事実行為に過ぎない」ことから、国家賠償法・民法の「共同不法行為の前提となる行為の共同性」はないと認定しました。後者は、霊璽簿等への記載は「非公開」であること、また、合祀についても「信教の自由を妨害する強制や不利益を伴うものではな」いことから、「原告の利益を侵害することは認められない」と判示しました。
  審理途中の平成二十二年六月、原告が要求した現地進行協議が沖縄県糸満市の大度海岸にて行われ、原告の説明により、沖縄戦が如何に悲惨で、旧日本軍が如何に残虐だったかを伝えるプロパガンダともとれる活動が行われましたが、それに影響されることなく、本来の争点を見据えた、今回の妥当な判決となりました。尚、原告は十一月四日に上告しています。

●大阪訴訟判決について
  本訴訟は、「大阪小泉首相靖國神社参拝訴訟」で敗訴した原告団代表・菅原龍憲氏(浄土真宗本願寺派僧侶)ら九名が、那覇訴訟と同様に靖國神社と国を相手取って、霊璽簿等からの戦没者の氏名抹消と、合祀の継続によって被っている精神的苦痛に対する百万円の損害賠償を請求したものです。
  判決では、合祀による法的利益の侵害を認めなかった一審・大阪地裁判決(本誌第169号参照)を支持し、原告側の控訴を棄却しました。
  しかし、判決文では、国が戦没者に関する情報を靖國神社に提供した行為を、合祀という宗教行為に対して「援助、助長し、これに影響を与える行為」であると述べ、「国に政教分離原則に違反する行為があったとしても・・・」という仮定的な文言を入れ込んだ上で、「合祀及び合祀継続行為」「被控訴人の政教分離原則に反する行為」により、その法的利益が侵害されたということはできないと判断しました。そのためマスコミ各社は、これを裁判所が国の行為を政教分離違反と判断したと報じています。
  しかし、政教分離の判断に際しては、目的効果基準に則って一般人の見解を考慮に入れることが過去の判例で示されていますが、本判決にはそれがありません。「・・・あったとしても」という仮定的表現を使用することにより政教分離という用語を使用したため、混乱を招いたとも考えられます。すなわち、マスコミ報道のように、判決内容が一概に国の行為を政教分離違反と断定したわけではないとも受け取れることから、この部分については解釈が分かれるところであり、判決内容のさらなる研究が求められます。
  原告側は「国の行為を政教分離原則違反と認めたことは一つの成果」としたものの、判決自体は不服として十二月二十八日に上告しました。
本訴訟は最高裁において決着が着くことになりますが、本判決の傍論が影響を与えることのないよう、対策を講じてゆく必要があります。
 
                                            ○  ○
 
  以上、解説した二件の訴訟に加え、現在東京地裁においても同様の訴訟が係属中です。一連の訴訟で原告等が共通して主張する「戦没者を敬愛追慕する人格権」、いわゆる「宗教的人格権」は、昭和六十三年六月の山口県殉職自衛官合祀訴訟最高裁判決で明確に否定されています。にも拘わらず、かくも執拗に同様の内容で訴訟を繰り返すことは、反国家、反靖國等、自己のイデオロギーを司法の場を利用して展開したものであることは疑うべくもありません。本連盟では、神社本庁と連携を取りながら、引き続き靖國神社への支援活動を展開して参ります。


 「A級戦犯」合祀 の真実 (神政連だより『つばさ』No.34号掲載)

  「A級戦犯」とは、昭和二十一年四月、極東国際軍事裁判(略称・東京裁判)で起訴された日本側戦争指導者二十八名のことです。昭和二十三年十一月の判決で、全員が死刑を含む有罪となり、翌月二十三日、死刑が執行されました。靖國神社には、「A級戦犯」とされた方々の内、刑死した七名と、受刑・未決拘禁中に病死した七名の計十四名が昭和殉難者として、昭和五十三年に合祀されています(十四頁参照)。
  今、首相の靖國神社参拝をめぐって、次の議論があります。
 
Ⅰ 「A級戦犯」を祀る靖國神社への首相参拝は問題である

Ⅱ 東京裁判が不当だとしても、日本が講和条約で東京裁判を受け入れている以上、首相参拝は問題である

Ⅲ 首相が参拝するなら「A級戦犯」を分祀すべきだ

 
  これらが果たして正当な議論といえるか、順次検証していきましょう。

 
  問題Ⅰ「A級戦犯」を裁いた東京裁判とは何か
  東京裁判は、日本の戦争指導者を裁くために連合国側が占領政策の一環として行った軍事裁判です。ポツダム宣言第十項の「……一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えらるべし」を根拠として開廷されたものですが、その正当性には重大な疑義があります。
  GHQは、ナチス戦犯を裁いたドイツのニュルンベルク裁判にならい、極東国際軍事裁判所条例を布告して次の通り戦争犯罪を定義し、戦争犯罪人の起訴事由としました。
 
①「平和に対する罪」(共同謀議して、侵略戦争を計画、準備、開始、遂行して、世界の平和を撹乱した罪)

②「通例の戦争犯罪」(戦争の法規および慣例に違反した罪)

③「人道に対する罪」(非戦闘員に対して加えられた大量殺戮、奴隷的虐待、追放その他の非人道的行為)
 
  この中の①「平和に対する罪」を含む理由により起訴された人々がいわゆる「A級戦犯」ですが、「平和に対する罪」及び③「人道に対する罪」は当時、国際法上の犯罪とされていませんでした。GHQは「A級戦犯」を裁くために、国際法にはない罪状を起訴事由に含めたわけですが、これは明らかな事後立法であり、近代刑法の原則である罪刑法定主義に反します。
  東京裁判で有罪判決となった二十五名には、「人道に対する罪」は適用されませんでした。その後、「人道に対する罪」は国際法上の犯罪として確立されましたが、「平和に対する罪」は今日においても犯罪概念として確立しておりません。
さらに、戦勝国のみで構成された十一名の判事で、敗戦国の被告を裁くという形式では、はじめから裁判の公正さは期待できません。東京裁判は公開裁判でしたが、証拠の採用や証人の取扱いなど著しく公正さを欠いた上に、明らかなハーグ陸戦法規違反である原爆投下や、中立条約を踏みにじって対日宣戦したソ連、日本が苦慮した中国共産党の対日戦略の問題など、連合国側に都合の悪い事項はすべてタブーとされました。東京裁判は、連合国が日本を戦争犯罪国とするために、一定の筋書きのもとに演出した裁判であると言えます。

                                               (略)

  「A級戦犯」とされた方々は、国内法の犯罪者でないことはもちろん、内外の国際法学者は、裁判自体が違法なものであったと認めています。
日本国政府は独立を回復すると、戦争裁判の犠牲者を「法務関係死亡者(略称・法務死)」として扱い、一般戦没将兵と同様の措置を講じてきました。その政府の対応に基づいて、靖國神社は「昭和殉難者」として合祀してきたのです。

 
  問題Ⅱ日本は東京裁判を受け入れているか

  サンフランシスコ講和条約の第十一条には、「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする(以下略)」とあります。
  この「裁判を受諾し」の部分の英語原文は、「accepts the judgments」となっています。英語のjudgmentは、日本語では「判決」と訳すのが適切であり、従ってこの第十一条は、日本が裁判の内容も含めて受諾したという意味ではなく、日本が裁判の諸判決を受諾したと解釈すべきです。
  それでは、講和条約第十一条の目的は何でしょうか。
  一般に、第一次世界大戦までは、交戦国間が平和条約を締結して戦争状態を終結するにあたっては、条約中に「交戦法規違反者の責任を免除する規定」(アムネスティ条項)を設けて、戦犯(交戦法規違反者)の大赦を行うのが慣例であり、また、当該規定がなくとも、戦争終結に伴う戦犯の赦免は、国際法上当然のこととされてきました。
  つまり、講和条約第十一条は、アムネスティ条項を削除した上で、条約発効により主権を回復した日本政府が、戦争裁判の結果、服役中の受刑者を、日本政府の判断のみで釈放、赦免することがないよう、刑の執行を講和条約発効後も日本側に義務づけた規定なのです。
  一刻も早い講和条約の締結は日本の悲願でしたが、条約の内容について敗戦国の発言権は限られています。この第十一条があるために、講和条約の発効後も、国内外で約千二百名の戦争裁判受刑者が引き続き服役 していました。しかし日本政府は、戦犯の釈放・赦免を求める全国民的な運動や国会決議を受けて、関係国と早期釈放について交渉し、A級は昭和三十一年三月三十一日までに、B・C級は昭和三十三年五月三十日をもって関係国の承諾を得て全員が釈放されました。
  「日本は講和条約第十一条により、東京裁判を受け入れている」との言説には、何の根拠もありません。講和条約により主権を回復した日本が、戦争裁判の判決理由や正当性まで認めなければならないとしたら、そもそも何のための講和条約締結なのかわからなくなります。
  講和条約の前文には、「連合国及び日本国は、両者の関係が、(略)主権を有する対等のものとして友好的な連携の下に協力(以下略)」 とあります。講和条約により主権を回復した日本が、占領中の戦争裁判を政府として如何に解釈するかは、まさしく日本の主権に関わる問題です。
さらに東京裁判をはじめ、内外の戦争裁判の不当性をみれば、日本が東京裁判を受け入れなければならない理由は、どこにもありません。

 
  問題Ⅲおかしな「A級戦犯分祀論」

  さらに、首相参拝をめぐって、「A級戦犯」十四柱を靖國神社の御祭神からはずすべきだとする 議論があります。これは、昭和六十年の終戦記念日における中曽根総理の公式参拝が、「A級戦犯」の合祀を理由に中国側から批判を受け、以降の参拝が中断されたことに端を発して、以来、中曽根元総理やその周辺から発言されて きたものですが、小泉首相の参拝をめぐって、この「A級戦犯分祀論」が再燃しています。
  しかし、前述したように東京裁判そのものが国際法上多くの欠陥や問題のある裁判であることと、内外の戦争裁判受刑者に対し、講和条約発効後に我が国政府が取ってきた措置を顧みれば、「A級戦犯」とされた方々を靖國神社が合祀していることに何ら問題のないことは明らかです。
  また、この「分祀論」の本質的な問題は、靖國神社の尊厳に直接関わる御祭神に関する事柄が、政治や報道の場において軽々しく、それも誤解に基づいて議論されているというところにあります。そもそも、神社祭祀における分祀とは、人々の崇敬心に基づいて新しく神社を創建したり、あるいは神社に新たな御祭神を祀るために、元宮となる神社から御神霊をお迎 えするための祭祀のことをいいます。もとより、特定の祭神を御神座から「分離」するという意味での「分祀」は、神社神道の教学の上からも有り得ないものであり、このことは、靖國神社及び神社本庁が表明している通りです。
  いわゆる「A級戦犯分祀論」は、神社祭祀の本質に対する無理解から発しているものであり、また「A級戦犯」とされ、刑死ないし未決拘禁・服役中に死没された方々に対して、一般の戦没将兵と同様の対応を講じてきた我が国政府の対応とも矛盾する意見といえます。

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